2021 02.01

#15

JCD 60周年を迎えて

2021年1月14日、JCD 一社)日本商環境デザイン協会は創立60周年を迎えました。
窪田がJCDの理事長になってから、3年目となりました。
現在、JCDは全国に10支部があり、大きなネットワークを持ちます。この繫がりを活かし、各支部が一斉に60周年イベントを開催し、デザインの大きなうねりを全国に発信していきたいと思っています。

JCDとは?

ここで、少し、JCDの歴史について紹介させて頂きたいと思います。
JCDの会員の中でも、JCDがどのように始まったのか、また、それはどういう人たちがどういう思いで作ったのか、知っている方はごく少数に限られます。

今から60年前、1961年はまだ「インテリアデザイン」という言葉も生まれていない時代でした。JCDは、「日本商環境設計家協会」として、店舗づくりに関わっていたメンバーが集まり、第一歩を踏みました。(後に、「日本商環境デザイン協会」(現在の名称)に名前を変えます。)
その頃の時代を、一人のデザイナーによって振り返ってみたいと思います。

JCD初代会長 川喜田煉七郎

川喜田煉七郎は、1902年に生まれ、現在の東工大で学んだ後、建築家として活動します。学生時代には、帝国ホテルの現場にアルバイトで参加し、フランクロイドライトや遠藤新に指導を受け、卒業後、遠藤新の設計事務所に勤務。学生時代、山田耕筰に影響を受けたことから、卒業制作では劇場の設計を行い、その後も映画館や劇場を発表します。
川喜田煉七郎の名前を世に知らしめたのがウクライナのハリコフ劇場建築国際設計競技で、日本人初、国際コンペで4位に入選しました。
しかし、この後、建築家としては異色の道を歩んで行くことになります。
川喜田はバウハウスを独学で学び、1932年に「新建築工芸学院」を創設。教育者としての顔を持ちます。「新建築工芸学院」は建築・工芸・デザイン・演劇などの総合的な教育を行い、「日本のバウハウス」と呼ばれました。
卒業生には、亀倉雄策・桑沢洋子など、建築以外で著名になった人物がいて、卒業生である桑沢洋子を通じて、教育理念や教育手法は桑沢デザイン教育所に引き継がれていったと言われています。
そして、1935年頃から「川喜田煉七郎店舗能率研究所」を設立。ここから、川喜田は「経営コンサルタント」としての側面を持ちます。

「戦前の日本の街には近世を引きずっているような店舗が溢れていた。戦後から60年代にかけて、都市部を中心にハイデザインの店舗が増えていっても、周辺にはいわゆる普通の店舗が多かった。」(テンポロジー特別号「川喜田煉七郎を知っているか」対談:梅宮弘光氏より)

その中で、川喜田は、キャンバスを持って全国の商店街を行脚します。どうしたら、人が入る店になるのか、その手法を伝授して個人商店に寄り添うようにデザインの力を伝え歩きました。

川喜田の店舗設計は「商いにまつわる人間の心理と行動を空間化することであった。平面や什器、棚や装飾をどのように仕掛ければ、ヒト・モノ・カネはどう動くのか。」
それを図解して、「店舗学」というものを、目に見える形にした最初の人物でした。

1954年、建築家から飛び出たアウトサイダーの川喜田煉七郎を含む、16名のデザイナーたちが「日本店舗設計家集団」を発足しました。
「商店経営」(1950年創刊)という雑誌には、
「店舗設計の知識の向上と親睦をはかる意味から日本設計家集団が発足し、その動向が今後大いに期待されている」と書かれています。
この、設計家たちの集まりが「日本商環境設計家協会」を1961年に創設し、現在のJCD「日本商環境デザイン協会」へと発展していきました。
東京支部の初代理事長は村上末吉。雑誌「商店建築」の創設者が、協会の発足に大きな力を与えました。

「店舗学」を形にしようと、まだインテリアデザインという言葉のないときに、無から形を作り上げようとした人たちの情熱があって、今日のJCDへと引き継がれています。

JCDデザインアワードから空間デザインアワードへ

1974年日本商環境設計家協会が「商空間デザイン賞」として、隔年のデザインアワードを開催しました。1980年からは毎年の開催となり、商環境デザイン賞、JCDデザインアワードに改名しながら多くの若手デザイナーを輩出してきました。
KA&Aは、2003年、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIで初めてJCDデザインアワードに入賞しました。その後、UT STORE HARAJUKU. で銀賞、Mercedes-Benz Connectionにて銀賞、今治タオル南青山にて銀賞、Mercedes-Benz 和歌山にて金賞を受賞しました。
窪田は、JCDデザインアワードを受賞したことでJCDとの繋がりができ、2009年からJCDの活動に参加しています。

2019年、JCDデザインアワードは、DSA(日本空間デザイン協会)の主催するDSAアワードと合体し、日本空間デザイン賞として新たなスタートを切りました。

協会がそれぞれ開催していたアワードを統合し、協働することは非常に珍しいことですが、これを機に、協会同士の交流を深め、デザインの命題の元多くの議論が交わされ設立されました。今後、更に日本のデザインの力を世界に大きく発信する力となります。

  • 2019年第一回日本空間デザイン賞のグランプリを受賞したのは広島平和記念資料館本館。

  • DSA会長鈴木恵千代氏と共に。

  • 2019年贈賞式の最後に関係者らと。

  • 2020年最終審査会の様子。

  • 各界から審査員にお招きし、オンラインで公開審査が行われた。

日本空間デザイン賞2020展開催予定
「日本空間デザイン賞」の2020年度受賞作品の展覧会が開催されます。
最高賞の「KUKAN OF THE YEAR 2020」に選ばれた3作品「渋谷スカイ」「深大寺ガーデン レストランMaruta」「熊本城特別見学通路」を壁一面に大きく取り上げた展示空間となっており、さらに11カテゴリーの金賞・銀賞・銅賞の各賞が一堂に展示されます。
日本空間デザイン賞2020展
会期:2021年2月9日(火) – 2月14日(日) 11:00 – 20:00(最終日2月14日は18:00で終了)
会場:GOOD DESIGN Marunouchi
東京都千代田区丸の内3-4-1 新国際ビル 1F 03-6273-4414

協会の意味

協会の活動をして、仲間を増やそうとする時、「協会に所属するメリットは何ですか?」と、質問を受けることが多々あります。
その時に、窪田が自信を持って答えることは「繋がりを作ること」だと言います。
新型コロナウィルスの感染拡大に見舞われた2020年。予定されていたオリンピックも延期され、空間は「人を集めるためのもの」から「人を集めてはいけない」に大きくその存在理由が方向転換しました。
リアルに顔を突き合わせて会うことができない期間が長くなると、大切なのは、いかに自分の存在理由を社会の中で感じられるか、見えない人と人との繋がりの価値が、人の生きていく活力になると改めて考えさせられました。
JCDは2018年より「タカハシツキイチ」というトークイベントを開催し、若手デザイナーを紹介する場所を作っていましたが、現在ではオンラインで開催し、イベントとしても定着してきたような気がします。
団体を通しての先輩・後輩や仲間を得ることは、人生にとって豊かさを得ることであると、
コロナウィルスが一旦落ち着きを見せ、仲間同士が集った時に改めて実感しました。

  • コロナ下では無観客の配信のみとなったが、引き続きオンラインでトークイベントを開催している。

  • タカハシツキイチは毎回、ゲストにチラシを作成してもらうため、それぞれデザインが特徴的なチラシが出来上がる。

  • ファシリテーターは、編集者の高橋正明さん。毎回、若手の多彩なゲストを呼んで、デザイン哲学を聞き出す。

  • JCDメンバーで結成されたJCDバンド。コロナ下で活動自粛中だが、真面目にリハーサルに取り組み、仲間と音楽をつくるのも楽しみの一つ。

  • SODA活動では、小中高の学校に赴き、デザインの出前授業を行う。子供たちからは枠にとらわれない素晴らしいアイディアが飛び出す。

シンポジウム開催

JCDシンポジウムSECTIONは1993年から開催しています。2018年には故杉本貴志氏、2019年に故内田繁氏のシンポジウムを開催。2021年はその継続・総集として、没後30年となる故倉俣史朗氏を取り上げます。倉俣氏を知らない若い世代を中心に「クラマタを語る」会話の場を作るため、数回にわたる断続的なオンライントークを開催し、さらに2021年6月には公開シンポジウムを計画しています。

  • 2018年「杉本貴志の人と仕事を語る」JCD理事の飯島直樹さん、ゲストに片山正通さん、難波和彦さん、面出薫さんをお迎えして。

クラマタを語る。
商空間デザインも「デザイン」であると働きかけ、現代の空間観の礎を築いた、倉俣史朗。
JCD日本商環境デザイン協会が主催するトークセッションで、2021年2月から断続的に行い、オンラインでライブ中継します。

JCD60周年事業のテーマは「SHINKA」。SHINKAには、「進化」「深化」「新化」があり、それらを統合した、デザインの「真価」をテーマにイベントを打ち立てます。まさに現在のコロナ禍から、アフターコロナを見据えて、私たちのデザイン活動に求められるものは何か、真の価値とは何か、を探す旅のような一年にしていきたいと思っております。